2019年夏、卒業生に会いに行く | これからの話 #00
ロフトワークは来年の2月、20周年を迎える。節目の年を迎えるにあたって、これまでロフトワークで働いていたメンバーがいま、どんな風に生きているのか、それぞれの道をどう歩んでいるのか、ふと知りたくなった。一人ひとりの卒業生に林千晶が会いに行き、「これからの話」を聞いていく。
男木島にて
「こんにちは〜、千晶さん」
箪笥を乗せた台車を押して、笑顔の石部ちゃんが現れた。
一緒に働いていた頃と変わらない笑顔だった。
その日は、瀬戸内国際芸術祭の最終日だった。私が乗り込んだ船は、午前10時に高松を出て、40分ほどで男木島につく。200人はいるであろう、大勢の観光客が一緒だ。
男木島で船を降りると、フェリー乗り場のすぐ横にある屋台「島テーブル」に、お昼を買う人が続々と列をつくっていく。石部ちゃんはその列ですこし慌てながら、「冷汁」の準備をはじめた。
ーー
石部香織(いしべかおり)ちゃん。彼女は2013年から3年間、ロフトワークのディレクターとして働いていた。口数は少ないけれど、どこか芯が通っている人柄が印象的だった。だから彼女が男木島に移住すると聞いて、びっくりするのと同時に「なるほど」と思ったのを覚えている。
2年間、地域おこし協力隊として男木島で活動し、現在は島の伝統食である「麦味噌」を今の世代につなげる活動をはじめ、「オギとムギ」を設立したのだ。
彼女は台車に乗せていた3段の箪笥から、一つひとつ調理器具や食材を取り出していく。
上の段には、みじん切りにされた茗荷、シソ、ゴマ、氷。真ん中の段には、お豆腐、キュウリ、そして焼いた鯛。そして下の段には、一人前に盛り付けられたご飯。箪笥の全てが、冷や汁をつくるための材料だった。
「あい変わらず、丁寧な仕事だな」と思った。
坂の上のカフェレストラン
石部ちゃんを1時間ほど手伝ってから、気分転換もかねて、男木島を観光することにした。
島の登り坂を上がっていく。普段はなかなか歩くことがない坂道だ。人が歩けるだけの細い道。ときどき階段もある。
坂を登りきったところに、一軒のおしゃれなカフェレストランがあった。「私たち家族も、移住組ですよ」と、パンを包みながら女性が話してくれた。夫婦でカフェをオープンしてもうすぐ2年経つが、経営はしっかり成り立っているらしい。
店内には、おしゃれなパンがずらりと並ぶ。その一つを買ったら、もっちりしたフランスパン生地に餡子が入っていて、びっくりするくらい美味しかった。一緒に買ったアイスラテも、気がついたら飲み干していた。
坂を下りて再び、石部ちゃんの働く島テーブルに戻る。
石部ちゃんは相変わらずのペースで冷や汁をつくっていた。そして、隣の店舗のおじさんとおばさんが、石部ちゃんを手伝っていた。おばさんの提供メニューは、もう売り切れてたのだ。
「ゴマはこうやってするんだよ」と、おじさんが石部ちゃんにいう。おばさんは完成した冷や汁を、笑顔でお客さんにわたし、会計をしている。
石部ちゃんはそれを、ごく自然なこととして、そのまま受け取っているように見えた。
生き方に「正解」なんてない
男木島に根を下ろして、収益の出る事業をつくり、しっかりと生計を立てている人。逆に、みんなに支えられながら自分の仕事を重ねている人。
正しい生き方なんて、どこにもないなと思った。
石部ちゃんが、一人で大きなビジネスを成り立たせることは難しいのかもしれない。でも彼女がはじめた小さな営みから、隣近所にいるみんなが関わりあっていく「余白」が生まれていた。
私だったら、一つひとつの作業を効率よく組み立てていってしまうだろう。あんなに無防備にはいられないかもしれない。でも石部ちゃんは、効率のよさとは真逆の、「人に手伝ってもらう」ことで、価値を生み出している。そうして、人の生活はできているのかもしれない。
ーー
これまで、ロフトワークを旅立った卒業生にあえて会いに行こうと思うことは、ほとんどなかった。
仲間が会社を去っていくのを見送ること。みんなの新しい門出を応援したいけれど、経営者としてはどうしても複雑な心境だから。
でも男木島で石部ちゃんに会って、彼女の生き方にふれられてよかった。
ロフトワークは来年の2月、20周年を迎える。節目の年を迎えるにあたって、これまでロフトワークで働いていたメンバーがいま、どんな風に生きているのか、それぞれの道をどう歩んでいるのか、ふと知りたくなった。
みんなの“これからの話”を、聞いてみよう。
Next Contents