「グローバルな視点」から変化の兆しを考える
Butterfly Effect ー 小さな変化への問いかけが、あたりまえを更新する Vol.3
新型コロナウィルスの影響で、今まで考えたこともない問題や、ずっと解決を後回しにしていた課題や違和感に直面することが増えています。これらを、新たな「気づき」として捉え直してみると、新しい日常をつくる出発点となりそうです。必要は発明の母、窮すれば通ず。本連載では、毎回お題ごとにロフトワークメンバーがそれぞれ個人の視点で、小さな気付きを発信します。
今回のテーマは “「グローバルな視点」から変化の兆しを考える”
国内もですが、特に海外に行った際に感じる面白さは違和感にあると思っています。自分や、自分たちとは異なる習慣や気配みたいなものを感じ取り、その違和感を立脚点として、改めて自分の当たり前を疑うことができます。
今はこんな状況なので海外に行くことはできませんが、もしかしたら今だからこその違和感に出合えるのでは?という期待のもと、今回のテーマを設定してみました。
ひょっとしたら、「この内容がグローバルなの?」と思う読み手もいるでしょう。でも、海外とか日本とか関係なく感じられることに目を向けることが、これから大切にしなくてはいけない価値観なのかもしれません。
時差があるからこそのコミュニケーション
いつでも、誰とでも、どこにでも連絡が取れる便利な時代ではあるが、どうしても時差の壁は越えられず、鬱陶しいものだと思っていた。しかし、コロナの影響で、海外の様々な時間帯の友達と頻繁に連絡を取るようになって、時差の可能性を感じ始めている。
というのも、アジア圏の友達は、同じ時間帯にいて時差があまりないので、日中にチャットをしたり、夕方や夜にはオンラインで飲み会をしたり、日本の友達と連絡を取るのとほぼ変わらないことに気づいて、便利だなぁと思った。
一方で、時差が13時間ほどある北米の友達とこのようなやりとりをするのは難しい。「今どき古い!」と思うかもしれないが、少し長めの文章を書いて、Eメールでやりとりをするようになった。これがすごく新鮮で楽しい。夜に1日を振り返りながら、少し長めのEメールを送って、朝起きると向こうから少し長めのメッセージが来ている。手紙をもらうときのようにかなりワクワクして、これはこれでまた面白いなぁと思った。
どうすれば、もっと時差を楽しめるコミュニケーションが生まれるだろうか?
ー Yoshifumi Nomura(Producer)
個人に委ねられる判断基準
ロンドンに住んでいる友人と話していたら、今日の最大のハイライトは、食料品を買うためにスーパーに20分も並んだことだと言っていた。ロックダウンの影響で、イギリスの人々は食料や薬を買うなどの、必要な時にだけ外に出ることが許されていたのだ。彼らは家に取り残されたような気分になり、日本にいる私たちを羨ましく思っていたとのこと。
他の国とは異なり、日本は3密を避けることや、マスクを着用することを国民に「提案」することで、パンデミックに対処してきた。もちろん、現在の日本の法律では強制力がないことは理解している。
ずっと家にいなくても良い、という選択肢があるのはいいことだ。しかし、選択肢がある分、安全を確保するための線引きは、ある意味個人に委ねられる形となり、どのように判断すればいいのだろうかと考えてしまう。週末、レストランで友人の誕生日だから集まろう!と連絡が回ってくることもあるかもしれない。
“どうすれば、みんなが納得できる基準を定義できるだろうか?”
ーChristine Yeh (Marketing)
モチベーションという連帯感
南アフリカに住んでいる友人によると、新型コロナウィルスの影響で、大学のワークショップなどはオンラインになっているらしい。今までは、貧しい学生であっても大学に行けばパソコンやインターネットが使えたが、オンラインでの学習となると、パソコンを持っていなかったり、安価で低スペックなスマートフォンしか持っていない学生もいる。
結果、今までの環境を前提とした資料作りが困難になった学生も少なくないため、大学の授業で必要なコミュニケーションはWhatsAppで進めているとのこと。仕方がないからではなく、モチベーションは高いがリソースがなかったり、超えるべきハードルがあるからこそ、関係者が連帯感を持って、どうしようか?と前向きに捉えていることが印象的だった。
一方、日本は多くの場合、恵まれた環境にあるが、会社に来ないとアクセスできなかったり、会社によって使える/使えないといったルールの縛りが多いと感じる。そんな時、台湾では中学生であっても、優れたコードを書けばスーパーコンピューターを通じて市民のIoTシステムにアクセスできると話題になった。
“どうすれば、日本の企業は国内外のモチベーションの高い人たちと
連帯感を持って歩んでいけるだろうか?”
ーShuhei Kato(Directer)
Next Contents