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黒沼 雄太 2023.10.25

ビジョンと動画 — 想像を描く/伝える/検証する

呼吸するように、幻を見るわたしたち

VISION(ビジョン)は「幻視(げんし)」とも訳されます。文字通り受け取れば、それは「実在しないものを見る行為」です。

と、書いてみると、何やら超能力めいたもののようにも感じますが、考えてみれば、「ビジョンをもつ」という行為それ自体は、私たちにとって、特別なことではないのかもしれません。

「あの死角から誰かが飛び出してくるかもしれない。自転車のスピードを落とそう。」
「あの人は、友達と図書館に行くと言っていたから、そろそろ帰ってくる頃かな。」

このように私たちは、普段からしばしば、目の前に実在しない人や物事を思い描いては、感情を揺らしたり、行動を変えたりしています。ほとんど日常的に、脳裏に浮かぶ幻と、目前の現実とを行ったり来たりしながら、それらをつなぎ合わせて生活している、とも言えるかもしれません。

誰もが自然に行っている事ならば、改まって「ビジョンを持とう」などと、お互いに声を掛け合う必要は、そもそも無さそうなものですが、ビジネスの場においては、そんな言葉が行き交う場面にもまた、しばしば遭遇することがあります。

その時、意識されている事はおそらく、言外の部分にあって、「 (解像度の高い) ビジョンを持とう」ということではないかと思います。

執筆:黒沼 雄太/株式会社ロフトワーク

「ビジョン」と「動画」の関係を考える

まだないけれど、あったらよさそうな活動や事業、製品、サービス。それらを構想し、形にしていくためには、解像度の高いビジョンが必要です。先行き不透明とささやかれるこの時代、どうすればそれが得られるのだろうか?と、日夜考えながら、試行錯誤を重ねている方が、大勢おられることかと思います。

もちろん、ロフトワークも例外ではありません。メンバーそれぞれが、日々、よりよいビジョンを描き、形にするための取り組みを、取り入れたり、開発したりしながら、パートナーの方々と共に、様々なビジョンを描いています。

そんな中、2023年に、「ビジョンと動画 ー未来を想像し、ともに創造する道具としての、動画の可能性」というイベントに登壇しました。

参加者の皆さんからは、事前に、「獲得したビジョンを “描く・伝える” ためにどのように動画制作を行えばいいのか?」ということだけではなく、「そもそもビジョンを “獲得する” ために動画制作は活用できるのか?」といった趣旨のご質問も、お寄せいただきました。

イベントでの質疑応答は、私にとっても、「ビジョン」と「動画」の関係について考えを巡らせ、整理する機会ともなりましたので、今回はその一部を、ご紹介したいと思います。

目的達成のビジョンから動画の役割を逆算し、内容を企画する

▶︎Q1
採用活動のために、事業のビジョンや仕事内容を伝える動画を作りたいが、全部入れたいと思いつつ、どんなものを作ればいいのか分からないまま、模索が続いている。

▶︎A
「動画でビジョンを描く」前に、「ビジョンで動画を描いて」みる。

こんな時は、一つの動画に、様々な働きを求めすぎてしまっている可能性があります。

例えば、色々な仕事をこなせそうな新人さんが入ってきてくれたからと言って、あれもやって、これもやってと、つい色々な働きを求めてしまうと、持ち味を発揮してもらえぬまま、パンクさせてしまう可能性があるように、動画にも、様々な働きを求めすぎると、ツールの持ち味がうまく活かせなくなってしまうことがあります。

それを避けるためには、「どんな動画を作ればいいのか」を考えるための「ビジョン」の解像度を、先に高めておけるとよいかもしれません。ご質問いただいたケースにおいて、動画は、採用候補者とのコミュニケーション手段であり、その目的は「採用の成功」であろうと思います。

動画の中だけではなく、ある人が、ある職に就くまでの道のりにも、様々な「シークエンス」が存在します。そこには、関心を持つ、情報を集める、門を叩く、対話する、他と比較する、周囲に相談する、入るかどうかを決める……など、様々な場面があります。

潜在的な採用候補者の方々は、各場面で、何をどう感じ、どんな行動をしそうな方々なのだろうか、ということについて、解像度の高いビジョンは、持てているでしょうか。もし自信がない場合は、例えば、内定者や、すんでのところで内定をご辞退された方を対象とした、デプスインタビュー等の調査を通じて、候補者がたどるシークエンスと、渦中の心情に対する理解を深めてみる事をお勧めします。

どのタイミングで、どのようなことがあれば、より深くマッチングできたのか/入社の意欲を後押しできたのか、についての仮説がクリアになればなるほど、動画に求められる演出や使用タイミングが、「採用成功のビジョンの一部として」、自ずと浮かんでくるはずです。

手段としての動画の内容を検討している最中に、動画の制作自体が目的であるかのように感じられてきた時は、一旦黄信号を灯し、まずは、動画に担って欲しい役割を見つめ直す事が、肝要かもしれません。

表現技法が高度であれば、事業ビジョンは浸透する?

▶︎Q2
目的達成のために動画を作るプロジェクトが始まった後に、適切な手段が、動画ではないかもしれない、と思えてきた時は、どうしていますか?

▶︎A
仕様を満たす「 “適切な手段” のトライアル過程」をデザインし、それを映像で「写しとる」。

動画はコミュニケーションツールであり、目的へのアプローチの部品のひとつ。と、思ってはいたものの、仕様書で既に「成果物は動画」と規定してしまっていた、のようなお悩みかもしれません。

発注者も受注者も、成果物に変更が必要かもしれないという場面では、なるべく柔軟でありたいと願いつつ、いざそんな状況に遭遇してみたら、周囲の関係者から理解を得ることもまた、とても大変だった、というケースもあり、悩みが尽きないところかと思います。

一方で、成果物が動画だからこそ、形式はそのままに、「表現方法」を柔軟にピボットさせることが、突破口になるかもしれません。ある動画制作プロジェクトでも、そんな機会がありました。

事例:ビジョンを共に描く、そのプロセスを動画にする

国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が推進する、ムーンショット型研究開発事業目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する」の一環で、若年層に向けた当研究事業の認知と理解を促進するための映像を制作。

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当初、「推進中の研究開発事業が、2050年に実現する社会のビジョンを、動画で描写する」ことが主な目標でした。しかし、過去の成果物の中には、同様のビジョンを描写した、良質なイラストやアニメーションも存在していました。

そこで改めて、今ある課題感の輪郭を探っていったところ、「ビジョンを描く事に」というよりも、「ビジョンに共感し、事業と自分に関係があると感じてもらう事に」課題があるのかもしれない、という仮説が芽生えてきました。

例えば、誰かの持つ「未来の社会がこうなれば」というビジョンが、デジタルの超絶技巧を駆使して表現された動画を視聴する機会があったとします。鑑賞を楽しむことはできそうです。ですが同時に「これは私も望む未来だ」と思えるかどうかは、製作者と鑑賞者の相性によるところが大きいのではないでしょうか。

ということで、動画の表現方法をピボットしました。幸い、プロジェクトチームには、研究開発中のテクノロジーが体験できる、複数種類のプロトタイプがありました。

まず、2050年に40-50代となる、現在の10-20代の方々をプロトタイプのデモにご招待し、研究開発事業の背景や目的に対する、ビジョンの解像度を高めていただきました。

次に、デモの参加者が集い、「将来、これらの技術がどう活かされると、私たちの社会生活の質が上がるのか」についてアイデアを発想し、寸劇形式で発表し合うワークショップを開催しました。

「ビジョンを提示する」プロジェクトを、「ビジョンを共に描く」プロジェクトにアレンジし、その過程を映像で「写しとり」ました。参加者のビジョンを補足するアニメーションと共に、それらを編集することで、「推進中の研究開発事業が、2050年に実現する社会のビジョンを、動画で描写」した成果物も、無事に完成しました。

動画の制作を考えていたが、他に適切な手段があったかもしれない。ということであれば、仕様を満たす「 “適切な手段” のトライアル過程」をデザインし、それを映像で写しとる、という方法でプロジェクトをアレンジすることは、成果物が「動画」であれば可能な場合も、案外多いのではないかと思います。

UXビジョンの価値を、検証するための映像制作 

▶︎Q3
新事業のUXビジョンを可視化し、プレゼンツール、社内仲間集め、顧客価値検証のために、動画を一つのツールとして有効活用したいと考えています。内製はシナリオを練る時間がある一方で、スタイルのクオリティが足りない。外注は、シナリオを練る時間が限られ、費用面も大掛かりになりプロトタイプとして活用しづらい。また、会社の風土としても、価値ドリブンが難しく、経営提案に動画を活用しにくい。という課題を、それぞれに感じています。

▶︎A
ビジョンを描き・伝える動画制作を、ビジョンの価値を検証する映像制作に、デザインしなおす。

拝見して思ったことは、おそらく「UXビジョンを描いた映像を見てもらう」という行為を通して、プレゼンや仲間集め、価値検証や経営提案でお感じになった、「動画制作の使いにくさ」を、あげて下さっているのかなと思いました。

この場合、Q2へのご回答と似た話になるかもしれませんが、「動画制作の使い道」を、転換してみてもいいかもしれません。成果物ではなく、制作のプロセスそのものを、目的のための手段として、考えてみていただきたいと思います。

新規事業のUXビジョンは、その形成過程で、多角的な視点から検討を施すことが大切、ということは、もはや誰もがご存知かと思います。そのためにロフトワークも、なるべく多様なメンバーで、デザイン思考のフレームワークを活用しながら、アイデアを発想するワークショップを開催しています。

ところで皆さんは、ワークショップで発想したアイデアを、参加者同士でプレゼンテーションし合う時に、どのような方法を用いているでしょうか。デザイン思考を活用したワークショップでは、よく「◯コママンガ」や「寸劇」などが用いられます。

なぜ、マンガや寸劇なのか。それは決して、楽しいムードの演出のためだけではなく、「多角的な視点で価値検証を行う」ためでもあります。「私」ではない「他者(ユーザー)」が、ある一連のシークエンスの中にいる。各場面で、その人は、何に驚き、喜び、どんな価値を感じるのか。それを検証するために、一人一人のPCや脳裏に描いていたビジョンをいったん、アナログの世界に近い環境へと、連れ出します。

光、音、風、温度、天候、等々、アナログの世界では、デジタルの世界と異なり、場の情報量が連続的に変化し続けています。そしてまた、そこは、私たちの身体が日々を生きている場でもあります。これに近い環境で「想像したシークエンスは本当に成立可能なのか?」「この場面でこんなに都合よく、その人(ユーザー)の心は動くだろうか?」といった大切なことを、場に居合わせる他者と共に考える営みが、検証の品質を高めることは、明白であるように思います。

一人の人物や、同質性の高いメンバーが描いた「UXビジョンを見てもらう動画」は、ともすれば「あなたはそう思うんですね」と受け止められてしまうものにも、なりやすい傾向があります。

ですからむしろ、「UXビジョンの動画を作るプロセス」に、社内の様々な部門のメンバーを招待し、入ってきてもらえるような「映像制作」をデザインしてみてはいかがでしょうか。

一定の場所で行う寸劇よりも、様々なロケーションでの撮影を伴う映像制作は、アイデアの検証環境としても、魅力的であるように思えます。

他にも例えば、外見だけをそこそこのレベルまで整えたプロトタイプを用意して、撮影に臨んでみる。その映像(中間制作物)をみながら、「こんな環境でも使うなら、大きさの調整が必要そう。」「動作の仕方をこう変えると、ユーザーの体験価値が向上しそう」といったことを、部門横断的なチームで考える機会等を設けてみると、本格的な試作の前に、製品の与件を洗い出す事にも役立ちそうです。

「ビジョンを描き・伝える動画制作」にかかる費用や時間のコストは、他の形式の成果物に比べて、確かに少なくないかもしれません。しかし、「ビジョンの価値を検証する映像制作」にかけるコストとして眺めてみると、どうでしょう。実際に製品をローンチしてから検証を開始することに比べて、果たしてそれは「大きい」と感じるようなコストでしょうか。

そしてまた、成果物が、部門横断的に新規事業のUXビジョンを検証してみた「結果として」出来上がった映像だった場合、それを初めて見る社内の人々の眼差しは果たして、以前と同じでしょうか。

ぜひ一度、この辺りをご想像いただければと思います。

ビジョン「と」動画、ビジョン「≠」動画

イベントの開催前にお寄せいただいたご質問や、当日の質疑応答を通じて、「ビジョンと動画」は、共にイメージを扱うものであるが故に、アナロジー的な思考によって、しばしば同一視されやすいものでもあるのかもしれない、と感じました。

しかし、こうして考えてみれば、ビジョン=動画ではありません。どんな動画を作るべきかを定めるために必要な「ビジョン」と、動画によって描きたい「ビジョン」は異なりますし、動画制作の中でも、映像制作は、ビジョンを検証する手段としても、用いることができます。

幻の「確からしさ」を支えるのは、実在する世界への謙虚な眼差し

学校から家へと続く道のり。当時、高校生だった私は、街灯のない農道で自転車を漕ぎながら、家路を急いでいました。

「あの死角から誰かが飛び出してくるかもしれない。自転車のスピードを落とそう。」

そう感じて、ブレーキを握った私の目の前を、産まれたばかりの子を加えて歩く親猫が、通り過ぎていきました。一足先に脳裏に浮かんだ幻に感謝しつつ、幻とは微妙に違った実在世界のあり様は、とても印象に残りました。以後しばらく、私の脳裏に浮かぶ幻の中で、死角からは、誰かだけでなく、猫も飛び出してくるようになりました。

私たちは、呼吸するように幻を見ています。ですがその幻に、「確からしさ」の感覚を得るためには、目の前の実在する世界に立ち会うことも、きっと必要なのだと思います。

であれば、ビジョンの「解像度(確からしさ)」を高める方法のヒントは、実在する世界との向き合い方の中にこそ、豊富に転がっているのではないでしょうか。

そう考えると、動画制作の中でも、カメラを使って、実在する世界の中で撮影を行いながら、当の世界とは異なる世界のシークエンスを描くこともできる「映像制作」が、ビジョンの「描写や伝達」だけでなく、「検証」とも相性がよさそうに思われるのは、それがある程度、理にかなっているからかもしれません。

ある日脳裏に浮かんだ小さな幻は、実在する世界への謙虚な眼差しに宿る、気づきの力によって、シークエンシャルに解像度を高めていくのだと思います。十分に解像度の上がったビジョンは、ある時、実在する世界に身を移し、後にきっと、別のビジョンを育て始めます。

ビジョンが胎児であり、実在する世界が、ビジョンの解像度にとっての重要な養分なのだとすれば、「映像制作」は両者を繋ぐ、臍の緒のような存在にも、なれるのではないでしょうか。

ロフトワークは、日々、よりよいビジョンを描き、形にするための取り組みを、取り入れたり、開発したりしながら、パートナーの方々と共に、様々なビジョンを描いています。ビジョンについてのお悩みがあれば、ぜひ、お気軽にご相談いただければと思います。

いつかこの記事をお読みいただいた皆さんと、どこかで再び、ビジョンや動画のお話ができる日を、楽しみにしています。

黒沼 雄太

Author黒沼 雄太(プロデューサー)

茨城生まれ。酪農・農業・大工を営む一家の一員として育つ。中央大学総合政策学部、東北芸術工科大学大学院卒業(修士)。人類学の研究を通じて「問いを立て、探求し、探求の過程や結果を外へ表現し、再び問いを立てる」営みを生涯続けたいと考え、都内の映像制作会社に入社。8年間、テレビ番組を中心とした映像の企画制作に従事する。2017年、ロフトワークに入社。物事や心情を描写・分析・表現する言葉の力に定評があり、リサーチ、コンセプト開発、ビジョン策定、PR、コンテンツ開発などのプロジェクトを企画・設計・推進。仕事を通じて「よろこびが行き交うはたらき」に満ちた社会の実現に貢献したい。趣味は、ランニング、野菜栽培、読書、映画、ゲーム、ウイスキー。座右の銘は、夏目漱石『草枕』の冒頭文。

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