望ましい未来の社会を実現する「トランジションデザイン」とは
〜第1回:なぜ、今ビジネスでの活用を目指すのか
ロフトワークでは、持続可能な社会への移行を促進するデザインアプローチ「トランジションデザイン」を通じて、事業創出や課題解決、未来構想を行う取り組みを始めました。未来洞察が専門のVUユニットのディレクターを中心に、識者や専門家の協力を得ながら、企業とプロジェクトを行っています。
日本ではまだ耳馴染みの薄い「トランジションデザイン」とは、どんな考え方なのか。クライアントとともに課題解決を行う私たちがなぜ注目しているのか、ビジネスへの応用で何が期待されるのか――。インプットとアウトプットを濃密に繰り返しながら、今まさに現在進行形で深めている知見や学びを、現場にいるVUユニットメンバーによる連載でお伝えします。
第一回目は、なぜ、今ビジネスに「トランジションデザイン」を活用しようと考えているのか、です。
イラストレーション:野中聡紀
企画・編集:鈴木真理子
連載:望ましい未来の社会を実現する「トランジションデザイン」とは
第1回:なぜ、今ビジネスでの活用を目指すのか ←今回はココ
短期的思考から長期的思考へ
最近、『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』という本に出会いました。ビジネスシーンでの私たちがいかに短期的な思考に囚われているのか、もっと長期的思考に立って考えるべきである、という趣旨の本です。
非常に示唆的であり、同時に身をつまされる思いでした。前年比や目標達成率、進捗率、私たちの仕事には常にそうした「短期的思考」がつきまといます。しかし、その一方で長期的思考も重要です。私たちの目の前の仕事は確かに短期的な数値を追うものばかりかもしれませんが、その先にある長期的な「社会にもたらすインパクト」に目を向ける必要があります。目の前にある仕事は、ルーチンワークのようでありながら、視点を変えると、その多くが社会に対して何かしらの新しい価値や大きな変化を生み出す可能性があるのです。
たとえば、駅前のフラワーショップは短期的に見れば「花を売るビジネス」ですが、「花を購入した人にどんな変化を生み出しうるのか」という長期的な視点で見ると、「人生単位でお客さんのウェルビーイングな時間を増やすこと」でもあり、さらに広げれば、「人間と自然の関係性について問い直すきっかけにもつながる」かもしれません。
世界に目を向けると、医療・教育格差、気候変動、移⺠問題、資源枯渇と経済活動の共存、パンデミックへの対応など、多くの複雑性の高い課題に私たちは直面しています。日本と世界のあちこちで、誰かを立てれば誰かが損をする。特定の問題を解消すれば別の問題が立ち上がる。善意で始めた活動がどこかで負の効果を与えてしまう。そんなことが起きています。
悲観的になろうと思えばいくらでも悲観的になれる状況ですが、各領域において、その複雑で厄介な問題を長期的思考で解決しようと立ち向かう新たなリーダーたちが生まれつつあります。
社会をより良い未来へと導く、トランジションデザインとは
ロフトワーク、そして私が率いるVUユニットは、新しい時代のチェンジリーダーを支援する方法として、「トランジションデザイン」というデザインアプローチに注目し、ビジネスの場での活用を研究・実践を始めました。
トランジションデザインは、2015年、カーネギーメロン大学デザイン学部の3人の教授、テリー・アーウィン氏、ギデオン・コソフ氏、キャメロン・トンキンワイズ氏によって提唱されました。その名前にあるように、社会の「トランジション(移行)」を起こすためのデザインアプローチです。
21世紀の社会が直面する、医療・教育格差、気候変動、移⺠問題、資源枯渇、パンデミックなどの複雑性の高い地球規模の問題が溢れる状況から、持続可能な社会への移行を促すためのデザインアプローチと言われています。
“複雑性の高い地球規模の問題”なんて聞くと、このアプローチが扱う問題が、途方もなく大きなもので、自分たちが日常的に向きあっている課題やゴールとは遠いところにある、と思われるかもしれません。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
私たちが日々、生活や仕事で考えている問題は、ジャンルや範囲は違えど、「何が正解かわからない」「何を目指すのかを決められない」「白黒がはっきりつけられない」ものであり、だからこそ難しく解決に時間がかかる問題も多いのではないでしょうか。上で書いたように、誰かを立てれば誰かが損をしたり、特定の問題を解消すれば、別の問題が立ち上がったり、善意がどこかで負の効果を与えてしまうようなものであれば、それはトランジションデザインのアプローチが力になるはずです。
トランジションデザインの特徴
トランジションデザイン提唱者の一人、ギデオン・コソフ氏は、「トランジションデザインが他のアプローチと一線を画しているのは、現代の問題を理解するための文脈を拡大しようとする姿勢が非常に明確であること」と言っています(*1) 。
詳しい流れやフレームワークなどは次回の連載に譲りますが、その特徴として次の3つが挙げられます。
システム全体を、過去の歴史も遡りながら、人間中心主義を超えて行き来するという、時間軸からみても対象範囲からみても、とても広く深い範囲を扱うことが特徴です。
デザインの歴史からみたトランジションデザイン
続いて、デザインの歴史や昨今の大きな流れのなかで、トランジションデザインをみていきたいと思います。
拡大するデザイン領域
近代デザインの歴史を振り返ると、狭義の意匠としての「デザイン」からその範囲が拡張し、大量生産消費を前提とした、機能のデザインから、人間中心のデザイン(デザイン思考、サービスデザイン)へと向かっていきました。今では私たち全員が、環境問題に直面し、人間中心のデザインからの超克が求められており、デザインアプローチも次の段階への発展が必要になっています。「モノのデザイン→体験のデザイン→システムのデザイン」へとデザインの領域が拡大しているのです。
ユーザー起点からビジョン起点へ
昨今のデザイン領域に起きている大きなトレンドの1つに、デザイン思考やサービスデザインといった“ユーザー起点によるデザイン” から、デザインドリブンイノベーションのような “あるべきビジョンを起点としたデザイン”へのシフトが盛んに議論されています。トランジションデザインは広義には、ビジョン起点のデザインプロセスに含まれています。
デザイナーによるデザインから、当事者たちによる“ひらかれた”デザインへ
かつてデザインとは専門家しか扱えないものでした。専門家が人々に向けて施すものであったものが、これからは当事者自身が主体的に問題解決に向けたデザインに関与していくようになっています。トランジションデザインの実践には経験と技術を必要としますが、それらは専門家のような特別な人たちによる限られたものではなく、 当事者たちと一緒にデザイナーが取り組んでいくことが重要であると考えられています。
* * *
気に留めておきたいのは、トランジションデザインは「他のデザイン理論と一線を画す、全く新しい手法を指す」わけではない、という点です。社会システムのトランジションという壮大な目標に対して、複数の既存のデザインアプローチも取り扱っています。例えば、システム思考やサービスデザイン、スペキュラティブデザインやリーンスタートアップなど。トランジションデザインは、具体的な一つの手法を採用するのではなく、重要なのは目的であり、より大きな社会のトランジションのために必要なものは取り入れながら、より望ましい未来をつくっていくべきなのです。
社会変化の本質を捉え、「あるべき未来」を提示し、企業が社会の移行をデザインする
なぜ、私たちが今、トランジションデザインが有効だと考えるのか。それは、そのマインドセットやアプローチが、多様な社会課題の解決・対応に向けて、様々な取り組みを進めている今の日本の「ビジネス」にこそ必要だと考えるからです。
日本のビジネスシーンには大きな変革が求められています。産業の発展に伴う環境負担に関しては、倫理的な観点はもちろん、CSV(Creating Shared Value)の議論などの競争戦略の観点からも企業が事業を通じた社会課題の解決に寄与することが期待されています。さらに、企業にとって現実的な問題としても、今後、欧州市場におけるCO2規制の強化も検討されており、事業活動の過程で発生したCO2量に応じた課税をされる可能性もあります。
上記のような背景から、多様な社会課題の解決・対応に向けて、多くの企業が様々な取り組みを進めています。その対応のためには、小手先の変化ではなく抜本的な変化(トランジション)が必要となります。私たちロフトワークも、多くのプロジェクトをご一緒させていただく中で、どうすれば社会課題の解決に寄与できるだろうか、課題だらけの世界に新しい価値をもたらすには、と頭を悩ませるクライアントの皆さんと出会ってきました。
トランジションデザインでは、複雑な問題を解決するために、私たちが今暮らしている社会やその裏側にあるシステムに加え、それらに影響を与えるマクロな動向、テクノロジーなどのイノベーションの動向など、それらの歴史を多層的に把握して、社会変化の「本質」を探り、企業や組織が主導的に導きたい、「あるべき未来」のあり方を考えていきます。
トランジションデザインの提唱者の一人であるキャメロン・トンキンワイズは、ロフトワークが開催したイベントで、顧客の欲求に従うのではなく、社会変化の本質を捉えてリードすることによって、企業が社会の移行をデザインする事業を行う大切さを述べています。
そこでは、単にユーザーの体験を改善するのみを目的にはしません。ユーザーの体験を改善したいという目的にフォーカスしたとき、多くの人は、現在の顧客行動や環境要因を分析する短期的視点を重視すると思います。それも重要なことである一方、短期的視点に基づく解決策を良かれと思って推し進めた結果、顧客やそのステークホルダーにとって長期的に不都合な結果を招くこともあるのではないでしょうか。
課題解決に向けた、より大きなインパクトを生み出すためにも、企業がトランジションデザインを活用することで、企業とそのステークホルダーそして環境が抱える課題を解決する、そのことが私たち皆が住む地球における社会課題の解決に貢献できるのではないかと考えています。
次回は、ビジネスで使える具体的なメソッドについて
次回は、ロフトワークが2023年1-3月に開講した「Transition Leaders Program」の内容に基づいて、具体的に企業で「トランジションデザイン」のメソッドを応用するための方法を解説します(テーマを変更しました)トランジションデザイナーとは一体どんな人か、どんなマインドセットが必要なのかを深堀りします。
連載:望ましい未来の社会を実現する「トランジションデザイン」とは
参考文献
水野 大二郎, 津田 和俊 (2022) 『サーキュラーデザイン : 持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス』学芸出版社
岩渕正樹「トランジションデザインの実践: 京都から2050年の生きがいを夢想する(その1)」note https://note.com/iwabm/n/n08a7d8a4f433
Carnegie Mellon University 「Transition design seminar 2023 」https://transitiondesignseminarcmu.net/
エツィオ・マンズィーニ著, 安西洋之 ・八重樫文訳 (2020) 『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』 ビー・エヌ・エヌ新社
上平崇仁 (2020) 『コ・デザイン-デザインすることをみんなの手に』NTT 出版
経済産業省「第3節 2050年カーボンニュートラルに向けた我が国の課題と取組」https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2021/html/1-2-3.html
ロフトワーク イベントレポート「なぜ企業が社会変革の担い手になるべきなのか?新たな市場を創り出すために求められる「インパクト」の描き方」 https://loftwork.com/jp/finding/takaaki_umada_impact
お知らせ:Transition Leaders Communityを始動します!
ロフトワークでは、プログラム参加者と共に、トランジションデザインについての勉強会やコミュニティを運営していく予定です。本記事を読んで興味を持った方は、下記よりぜひご参加ください。
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