PROJECT

MTRL(マテリアル)流、材料開発の次の世代を牽引する
「意味のイノベーション」のアプローチ

材料産業の未来のために、デザインができることとは?

日本のものづくり産業の中でも、世界的に高いシェアと利益率を誇る材料産業。一方で、同産業の構造的な課題として、急速な時代変化に対応することの困難さが危惧されています。

そんな材料産業の課題に対して、デザインのアプローチによって突破口を開くべく挑戦しているのが、ロフトワークにおいて材料や技術開発、先端研究を基軸にした事業開発支援に特化したチーム「MTRL(マテリアル)」です。

MTRLが実践するのは、材料開発における「意味のイノベーション」です。本稿では、MTRL事業責任者小原和也(弁慶)がそのアプローチを解説します。

解説:小原 和也(弁慶)(株式会社ロフトワーク MTRL事業責任者)
編集:岩崎 諒子(loftwork.com編集部)

日本の経済市場を牽引するリーディングインダストリー、材料産業

日本の材料産業は、事業所数約3万、従業者数約120万人、製造品出荷額約56兆円、付加価値額約20兆円を誇る*リーディング・インダストリーです。一方で、日本の材料産業が今後成長・発展していく上で、2つの大きな課題が存在しています。

ひとつめは、一見して豊かで、生活者の多くのニーズが満たされている社会状況では「解決するべき課題」を発見しづらいこと。そのような社会で、いかに素材・材料を通じて暮らしの中に新しい価値を提案できるのでしょうか。

もうひとつの課題は、社会変化のスピードに材料の開発速度が追いつかないこと。今、かつてない速さで時代が移り変わっているにもかかわらず、材料開発はひとつの研究がスタートして社会実装されるまで、およそ10年から長くて20年ものスパンがかかると言われています。

これまでの材料開発は、HOW——どうやってそれを実現するのか——を起点に、科学・化学のアプローチが牽引してきました。しかし、従来の方法だけでは立ち行かない状況を迎えつつあるのです。

*「素材産業におけるイノベーションの役割と期待」経済産業省素材産業課, 2018

材料産業における、クリエイティブカンパニーの挑戦

私たち「MTRL(マテリアル)」は、クリエイティブカンパニーであるロフトワークの中でもデザインのアプローチによる材料や技術開発、先端研究を基軸にした事業開発支援に特化したチームとして、2015年に誕生しました。

「社会の中で、いかにして材料・技術が新たな価値を備え、活用推進されるのか」という観点から、数多くの開発プロジェクトを手掛けてきました。製品開発はもちろん、サーキュラーエコノミーの実践に向けたプロトタイピング、ロボット開発における新たな価値の探求、展示会の企画・制作など。さまざまな形で、材料・技術領域のイノベーションを目的とした共創プロジェクトをデザインしています。

材料・技術の「新たな意味」を探求するための、3つのイシュー

MTRLが掲げている問いは、これから材料の新しい価値を探求するには、課題発見・解決のアプローチだけではなく、その先、あるいはその根源にある「意味」の発見が必要ではないかということです。現ストックホルム商科大学のロベルト・ベルガンティ博士が提唱する「デザイン・ドリブン・イノベーション(Design Driven Innovation)」に立脚したアプローチによって、さまざまな素材開発分野・製造業のみなさんと共に、デザインを起点に材料・技術の「新たな意味」を探しています。

ここで、私たちがプロジェクトを通じて取り組んでいる、材料基軸のイノベーションを牽引するための「3つのイシュー」を紹介します。

  1. イノベーションの目的を変える:イノベーションの目的を変える。これまでのイノベーションは課題解決中心。それだけではなく、新たな意味を創出するイノベーションにチェンジする。
  2. デザインシンキングの有用性を正しく理解する:デザインとは「なぜ」を問う態度のこと。
  3. 材料開発に刺激を与えるデザイン行為を実践する:HOWとWHYを循環させるデザインこそ、これまでも・これからも「ものづくり」には必要不可欠。

本稿では、この3つのイシューを軸に材料産業における「意味のイノベーション」の必要性について、解説していきます。

「イノベーションのジレンマ」を回避できるか

「イノベーション」あるいは「イノベーティブな状態」と聞いたときに、あなたはどんなことを思い浮かべますか? 新事業創出に携わった経験がある人なら、「既存の事業やサービス、概念を覆す破壊的な状況が起こること」などと答えるかもしれません。

いま多くの企業で、イノベーション創出のためのさまざまな方法論や戦略・戦術が実践されています。そのような現場で尽力している方々には釈迦に説法な話ですが、ここではビジネスの現場でイノベーションを生み出そうとしたときに、どうしても生じてしまう「ジレンマ」を理解するためのエピソードを紹介します。(イノベーションのジレンマについてよくご存知の方は、この下りを読み飛ばしていただいて構いません!)

郵便馬車事業者の憂鬱

およそ150年前、鉄道や自動車の誕生によって、それまで交通の要であった郵便馬車事業者は多くの仕事を失いました。郵便馬車は、移動スピードや運転効率の良さでこれらの新技術に対抗できなかったのです。そこで、困った郵便馬車事業者は顧客たちに「どうしたらもっと馬車を使いたくなるか」と聞いてみました。果たして、彼らは顧客の声によって自社事業をトランスフォーメーションできたでしょうか?

結論から言うと、彼らは自らのビジネスを改善することはできませんでした。それはなぜか。ヘンリー・フォードの有名な言葉に「もし、彼らに何が欲しいかと聞いたなら、もっと速く走る馬車が欲しいというだろう」というものがあります。勘の良いみなさんならば、ここまでの話で私が言いたいことがわかるはずです。

つまり、既存事業が大きな課題に直面した際、顧客の声から打開策を見出そうとしても、新しい発想や答えが見つかるとは限らないということです。結果として、郵便馬車事業者たちは自らのビジネスを改善したくても、これまでの事業の方法を捨て、全く新しいアプローチへと転換することができませんでした。これは、現代にも通じる「イノベーションのジレンマ」を端的に示すエピソードです。

更に言うと、顧客の声を聞きすぎることは物事の判断を見誤ってしまうリスクと表裏にあると言えます。私は、顧客を起点としたマーケティングや課題発見の有用性を否定したいわけではありません。ただ、少なくとも現代を生きる私たちは、先人たちが身をもって教えてくれた「教訓」を正しく理解する必要があるはずです。

それは、顧客の課題を発見して解決しようというアプローチだけでは、イノベーションを起こすのは困難だということです。

蝋燭にもたらされた、新しい意味

ここで、もうひとつのエピソードをご紹介します。あなたの自宅に蝋燭はありますか? 20世紀まで、蝋燭といえば祭壇に捧げる灯りや、あるいは停電をした時の緊急時の灯りとして使われるものでした。しかし、電気のインフラが整い、懐中電灯や非常灯などの便利なプロダクトも出回ったことで蝋燭の売上は減少し、2000年前後には多くの蝋燭製造業者が事業を畳むことを余儀なくされました。

しかし、驚くべきことに、蝋燭の材料としての「ろう」の生産量は2000年初頭から直近20年間、増加の一途をたどっています。これは一体、どういうことでしょうか?

その理由は、アロマキャンドルです。蝋燭が衰退した一方で、アロマキャンドルが市民権を得たことにより、現在、20世紀の頃の消費量に比べておよそ10倍のろうが消費されています。

アロマキャンドルによって、蝋燭の意味は明らかに変化しました。元々蝋燭は停電したときの備えとして、非日常のシーンで使われることを想定されていました。しかし、アロマキャンドルは明かりを照らす機能を目的としておらず、さらに使うシーンも限定されません。

ここで注目するべきは、イノベーションの起点が「課題解決」とは異なる価値を獲得した点です。アロマキャンドルの誕生によって、これまでは「問題があったとき、特別なときに使うもの」だった蝋燭に、「香りや豊かな体験」といった意味的な価値が付加されました。

一方で、もし蝋燭製造業者が顧客に「どうしたらもっと蝋燭を使いたくなりますか」と聞いたとしたら、「100時間続く蝋燭を作ってくれ」「危なくない蝋燭、蝋燭っぽい明かりを作ってくれ」のような課題を発見したかもしれません。もちろん、これらの課題を解決していくのもひとつの方法ではあります。しかし、そのやり方ではアロマキャンドルのような全く新しい意味にはたどり着かなかったのではないでしょうか。

私たちが取り組んでいる「意味のイノベーション」は、まさにこのアロマキャンドルのように、材料に新しい意味を見出し、価値をチェンジしていくことを目指しています。

「意味のイノベーション」による価値発見プロセス

近年、ビジネスの世界では「デザイン」が熱視線を浴びてきました。イノベーティブな状況を生み出していくためにはデザインこそが突破口になりうると、さまざまな業界で言われています。

なかでも「デザインシンキング」に対するビジネス界からの期待は高く、これまでさまざまな分野で実践されてきました。実際には、デザインシンキングにはさまざまな手法があるのですが、これまでビジネスの領域で実践されてきた主要なアプローチは、「新しいアイデアを作るためにユーザーの中から課題を発見し、その課題を解決する」というやり方でした。つまり、実際に課題を持っている人・困っている人など、さまざまなユーザーに話を聞きながら、アイデアの発散と収束を繰り返すことで、新たなビジネスのアイデアを生み出すのです。

私たちが目指す「意味のイノベーション」を実現するアプローチとして、それを可能にする「デザイン・ドリブン・イノベーション」も「デザインシンキング」の手法のひとつに含まれます。しかし、この手法はこれまでの「ユーザーの話を聞きながら課題を発見する」やり方とは全く異なります。「意味のイノベーション」が目指すのは「急進的な意味の変化の創出を志向し、新しい意味を創造する」ことです。もっと言うと、アイデアの意味を問い、批判的な思考を積み重ねていく中で新たな価値発見を目指すのが、私たちのやり方です。

「意味のイノベーション」の目的を別の言葉で表すと、「技術にひらめきを生み出すこと」です。これまでとは全く違う用途を発見し、プロダクトやサービス、アイデアの持つ価値の改善を積み重ねていくことで、その材料の意味が生まれ変わっていく。では、そのような価値の更新を実現するには、どうすればいいのでしょうか。

「意味のイノベーション」を実現するには、批判的に何度も何度もアイデアを昇華させていくプロセスが必要です。「あなたはなぜそれを作りたいのか」「それが生み出された社会はなぜ必要なのか」「それは私たちをなぜ幸せにするのか」「あなたの中に内在する価値とは何か」といったことを突き詰めながら、批判的に価値を創造していきます。

これからの技術・材料開発に必要なのは、HOWとWHY

前述した通り、これまでの材料開発は、HOWの視点から科学的・化学的なアプローチ「いかにそれを実現していくのか」という考え方が牽引してきました。

いかにして丈夫なものをつくるか、いかにして安全なものをつくるか、いかにして数多くの・安定したものをつくるか。このようなHOWの視点によって、20世紀を生きた多くの人々が、暮らしに欠かせない便利な製品を、大量に生産・消費することを可能にしてきました。しかし、急速に変化する時代では、従来のやり方だけで新しい価値を生み出すことが困難になりつつあることは明らかです。

私たちは決して科学的・化学的なアプローチを否定したいのではなく、むしろその力をより有効に発揮するための新しい方法を模索しています。その考え方を明快に示しているのが、以下の図です。これはMIT Media Labのネリ・オックスマンと伊藤穰一らが作成したサークルで、経済を循環させるためには、どのように創造的なエネルギーを循環させるべきかを提唱しています。いわば、新しい知識を創造するために必要なコンパスです。ここには、アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリングという4つの軸が描かれています。

「Krebs Cycle III graphic」(Neri Oxman, Joi Ito, MIT Media Lab)

誤解を恐れずに、この4つを大きく大別すると、エンジニアリングやサイエンスがHOW——「どうやって」それを実現するのかを考えることを基軸にした世界観であるならば、デザインやアートはWHY——「なぜ」を起点に世界に新しい認識や意味を見出していくのかを探求します。

こうしてWHYとHOWを循環させながら、HOWに新しい刺激を与えていくことこそが、材料にとどまらず、製品やサービスにイノベーティブで新しい価値を生むきっかけになると、私たちは考えます。

材料領域のイノベーションを牽引するために

最後に、改めて私たちMTRLが取り組んでいる「3つのイシュー」を紹介しながら、本稿を締め括ります。

1.イノベーションの目的を変える

課題発見・解決のイノベーションから、意味のイノベーションへと目的をチェンジしましょう。ユーザー自身が「本当に欲しいもの」が何かをわかっていないことが多い。豊かで不安定な時代だからこそ、イノベーションの目的自体を新しい価値創造へと変革させていく必要があるはずです。

2.デザインシンキングの有用性を正しく理解する

デザインとは、「ものの意味を考える行為」です。先の見えない社会状況の中で、複雑なものを複雑なものとして理解しながら、そのものの意味を捉えなおすこと、その行為が新しい価値へと繋がっていく。これこそが、デザインが材料開発に与えてくれる効用なのです。

3.材料開発に刺激を与えるデザイン行為を実践する

HOWとWHYを循環させるデザインこそが、これからのものづくりに必要不可欠です。HOWに寄り添うためのWHYとしてのデザインシンキングは、「なぜ」を問う態度のこと。あなたの「なぜ」から出発し、自身に内在する価値——あなたがなぜそれを作って、どんな豊かな社会を作りたいのか——を批判的に問う過程で、新しい意味に出会うことが必要とされています。それを繰り返すことで、材料・技術開発に新しい刺激を与えられると信じています。

私たちが取り組んでいる「意味のイノベーション」の、より具体的なプロセスや実践方法について詳しく知りたい方は、ぜひ、プロジェクト事例をご覧いただければ幸いです。

これまでMTRLが手掛けてきたプロジェクト

パナソニック株式会社 ロボティクス推進室 Aug Lab「環世界インターフェース」プロジェクト
NISSHA Design & CMF トレンド分析ワークショップ
株式会社ブリヂストン ラバーアクチュエータ用途探索プロジェクト
バンドー化学株式会社 サーキュラーエコノミー社会における技術開発ロードマップ策定
オムロン、スクウェア・エニックス、FabCafe共同研究。人と共に進化するロボット「FORPHEUS」
東レ ウルトラスエード×1518企画展

最後までお読みいただき、ありがとうございました。MTRLの取り組みや「意味のイノベーション」に関心を持って下さった方は、ぜひ、お気軽にご連絡ください。

参考文献

[1]素材産業におけるイノベーションの役割と期待,平成30年1月,経済産業省素材産業課
[2]「人類を変えた素晴らしき10の材料」(マーク・ミーオドヴニク,インターシフト,2015)
[3]「世界史を変えた新素材」(佐藤健太郎,新潮選書,2018)
[4]マテリアル革新力強化のための政府戦略に向けて(戦略準備会合取りまとめ),令和2年 6 月 2 日,マテリアル革新力強化のための戦略策定に向けた準備会合
[5]「新素材研究戦略と事業化ロードマップ」(下斗米通夫,アグネ技術センター,2009)
[6]「『科学的思考』のレッスン学校で教えてくれないサイエンス」(戸田山和久,NHK出版新書,2011)
[7]デザインンシンキング研究の課題と展望:「デザイン思考」と「デザインシンキング」(後藤・八重樫,立命館経営学第57巻第3号,2018)
[8] Verganti, R. (2009). Design-driven Innovation: Changing the rules of competition by radically innovating what things mean, MA: Harvard Business School Press.(佐藤典司(監訳),岩谷・八重樫(監訳・訳),立命館大学経営学部DML 訳(2012)『デザイン・ドリブン・イノベーション』同友館)
[9]Krippendorff, K. (2006). The semantic turn: A new foundation for design, Boca Raton: CRC Press.(小林・西澤他(訳)(2009)『意味論的転回─デザインの新しい基礎理論』エスアイビーアクセス)
[10]意味のイノベーション/デザイン・ドリブン・イノベーションの研究動向に関する考察(八重樫他,立命館経営学第57巻第6号,2019)
[11]Verganti, R. (2017), Overcrowded: Designing meaningful products in a world awash with ideas,Cambridge, MA: The MIT Press.(安西・八重樫(監訳),立命館大学経営学部DML(訳)(2017)『突破するデザイン』日経BP社)

小原 和也(弁慶)

Author小原 和也(弁慶)(MTRL事業責任者)

2015年ロフトワークに入社。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了(デザイン)。素材/材料の新たな価値更新を目指したプラットフォーム「MTRL」の立上げメンバーとして運営に関わる。現在は事業責任者兼プロデューサーとして、素材/材料基軸の企業向け企画、プロジェクト、新規事業の創出に携わる。モットーは 「人生はミスマッチ」。編著に『ファッションは更新できるのか?会議 人と服と社会のプロセス・イノベーションを夢想する』(フィルムアート社,2015)がある。あだ名は弁慶。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任研究員。

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