複雑な環境課題を、考えたくなる体験へ
多領域のプレイヤーとの共創で社会と接続
総合地球環境学研究所 Sustai-N-ableプロジェクトとロフトワークは、2023年から3年にわたり、窒素問題の解決に向けた実践を積み重ねてきました。システム思考によるワークショップ、アートによる体験展示、そしてゲーム開発へ。「考えるきっかけをつくること」を軸に、行動変容のデザインを模索し続けた軌跡を振り返ります。
Outline
「知ってもらう」から「考えて動くきっかけをつくる」へ
活動テーマの再設計
私たちが毎日呼吸する空気の約78%は窒素です。しかし、人間活動によって生み出される反応性窒素(大気を構成する窒素ガス以外の窒素化合物)の環境への過剰な排出が、気候変動、大気・水質汚染など多様な影響を及ぼしていることを知る人は、まだ多くありません。国際的な研究では気候変動と並ぶ重要な地球環境課題のひとつとして位置づけられているにもかかわらず、です。
2001年に設立された総合地球環境学研究所(以下、地球研)の林 健太郎 教授がリーダーを務める「Sustai-N-ableプロジェクト」は、肥料や工業原料などとして広く利用され、近年は燃料・エネルギーキャリアとしても注目されるている反応性窒素の環境負荷を定量化し、持続可能な窒素利用の実現に向けた研究を推進しています。ロフトワークとの協働が始まったのは2023年。林先生からの相談は、こんな言葉から始まりました。
———「窒素問題を、みんなに知ってもらいたい」
しかしロフトワークとのディスカッションを重ねる中で、活動の目的は「知ってもらうこと」ではないと気づきます。最終的なゴールは、持続可能な窒素利用に向けて、多様なプレイヤーがそれぞれ考え、行動を変えること。そのためには、100点満点の正しい理解を全員に求めるよりも、まず「考えるきっかけをつくること」が重要だ——こうして活動テーマが再設計されました。
「行動変容のデザイン」。これが、3年間のプロジェクトを通底するテーマとなりました。
Process

Approach
Phase1:複雑な課題の構造を可視化する
システム思考による介入点の探索(2023年度)
「考えるきっかけをつくる」ためには、まず「何がどうつながっているか」を整理する必要がありました。窒素問題は、食料生産・流通・消費・廃棄・環境汚染という多くの要素が複雑に絡み合っています。どこに働きかければ社会を動かすレバレッジポイントになるのか——その全体像を明らかにすることが、最初のテーマとなりました。
ロフトワークが設計したのは、「ループ図」を使ったシステム思考ワークショップです。研究者とロフトワークのメンバーが同じボードを前に、窒素問題に関わるあらゆる要因と因果関係を書き出し、議論を繰り返しながら構造を精緻化していきました。このプロセスを通じて、チーム内に「共通認識」が生まれると同時に、社会へのアウトリーチにおけるレバレッジポイントの仮説も浮かび上がってきました。

ワークショップの成果は、「2分でわかる窒素問題」の解説アニメーション動画として結実しました。複雑な構造をひとつのナラティブに圧縮する作業は、「関心のある層」への入口として機能しました。一方でこのフェーズを通じて、次に向き合うべき課題も見えてきました。アニメーション動画は、すでに関心を持つ人に端的に伝えられるようになりました。
ループ図の検討ワークショップを含む、全3回のワークショップを通じてアウトリーチ施策の全体戦略を策定。それに基づく具体的な施策として、「窒素問題」をわかりやすく伝えるためのアニメーション動画を制作
プロジェクト詳細
Phase2:琴線に触れる体験を設計する
展示『Sense of the Unseen Vol.1 怪談と窒素』(2024年度)
「正しく理解してもらうこと」より先に、「感じてもらうこと」が必要な相手がいます。専門的な知識を持たない一般生活者に窒素問題を自分ごととして受け取ってもらうには、科学的な正確さを保ちながらも、まず感じ、気になり、考え始めてもらうための体験設計が重要だ——このテーマのもと、2024年度はアーティストとの共創に踏み込みました。
着目したのは、窒素と「怪談」の共通点です。どちらも「目に見えない、しかし身近な存在」であること。そして「人間の関わり方によって善にも悪にもなりうること」——この類比を切り口に、展示「Sense of the Unseen Vol.1 怪談と窒素」を企画しました。
起用したのは、怪談師・サウンドアーティスト・バーテンダーという、展示会の文脈に慣れていない異分野のクリエイター3組です。林先生の研究知見とクリエイターの感性を接続するための合宿を2回実施し、〔学習→解釈→創作〕のプロセスを丁寧に重ねました。研究者の知見をクリエイターに深く伝えながらも、作品として昇華する余地を保つ——「感性に訴えかける」と「正確さを担保すること」の両立を目指したプロセスでした。
展示を訪れた企業担当者からは「社内でも窒素を創作テーマに作品を作ってみたい」という声がありました。また、異なるテーマを扱う研究者からも「専門的な内容をどうアウトリーチするかに課題を感じていた」という共感の声が集まりました。専門知識がなくても、体験の設計によって関心の入口は広げられる——そのことを、このフェーズで確かめることができました。
展示『Sense of the Unseen Vol.1 怪談と窒素』の様子
プロジェクト詳細
Phase3:当事者との対話から、次の手がかりを得る
窒素フットプリントの社会実装シナリオ検討(2024年度)
「知ってもらう」「感じてもらう」というテーマには一定の手応えが得られました。しかし行動変容のデザインというテーマを深めるほど、避けて通れない問題が浮かび上がってきました。実際に窒素問題に関わる当事者——食・農のサプライチェーン上の生産者・流通業者・食品メーカーなど——が変わる動機はどこにあるのか。
このテーマのもとで実施したのが、サプライチェーン上の多様なプレイヤーを集めたワークショップです。

議論を通じて見えてきたのは、構造的な難しさでした。「農家が動くには、消費者が変わるべし」「消費者が変わるには、まず認知が必要」——各プレイヤーはそれぞれの立場で合理的に動いており、「正しいから変わる」「知ったから変わる」という理屈だけでは動きません。
そこで行動変容の参照事例として、カロリーという単位・指標が市場に浸透するまでの経緯と、大豆ミートの市場浸透プロセスをリサーチ。社会全体が変わり始めるには、わかりやすく流通しやすい「指標」と、消費者をはじめとする市場のニーズの変化、拘束力のある政策や基準の策定が不可欠であること。そして何より、それが各プレイヤーの経済合理性と接続されていなければ、どんな仕組みも機能しないということが明確になりました。
ルールメイクと市場の変容。このふたつと接続しながら「考えるきっかけ」を設計する手段として浮かび上がってきたのが、ゲームでした。
Phase4:考えるきっかけを、体験として実装する
窒素問題を伝えるブラウザゲーム「ゆらぐテラリウム」開発(2025〜2026年度)
こうして生まれたのが、ブラウザゲーム「ゆらぐテラリウム ― Nとわたしたちの世界」です。ゲームはメタ的な仕掛けから始まります。プレイヤーはまず、「窒素固定マシンの出力」を0〜100%の間で自分で設定し、その世界に入っていきます。出力を増やせば食料は豊かになるが、環境が汚染される。減らせば環境は保たれるが質素な食卓になる——町の人々との会話や痕跡収集を通じて、自分が設定した世界の影響を体感します。
このゲームには3つの仕掛けが込められています。
- プレイヤー自身が出力を決めることで当事者性を獲得すること。
- ゲームの展開を通じて窒素問題のメカニズムを体験的に理解してもらうこと。
- そしてプレイデータを蓄積することで、行動変容のトリガーを探る「データ収集→学習」の循環をつくること。
これらの仕掛けは、「知識を教えること」ではなく「選択と体験を通じて考えてもらうこと」を核心に置いた設計です。
制作にはAIコーディングツールを活用してプロトタイプを開発し、ゲームクリエイターのSkeleton Crew Studioが週次でフィードバックを行う体制を組みました。AIを用いてアイデアを形にし、専門家の知見で体験の精度を上げ、ロフトワークが研究テーマを体験へ変換し社会と接続する——この役割分担が、限られた期間での制作を可能にしました。
2026年5月には国内最大級のインディーゲーム祭典「BitSummit」へ出展しました。会場では、ゲームデザイナーやエンジニアなど、これまでとはまったく異なる層との接点が生まれました。「ゲームを手段として、研究を広報していくことは面白い」「科学的なエビデンスや事実に基づく視点・研究の結果を利用しながらゲーム設計できることに多大に興味ある」という声が上がっており、共同研究・共同開発の次のフェーズへの扉が開きかけていることを示しています。


ゲームを体験する
Story
「共創のデザイン」へ——この道のりが示すこと
3年間の実践を振り返ると、活動テーマが段階を追って深化してきたことがわかります。「知ってもらう」から「感じてもらう」へ、「感じてもらう」から「窒素問題を考える体験」へ。そのたびに、共創する相手も広がってきました。研究者とデザイナー、アーティスト、サプライチェーンの当事者、そしてエンジニア・ゲームクリエイターへ。
次のステージで挑もうとしているのは、「環境合理性と経済合理性を両立させる共創のデザイン」です。窒素フットプリントの指標化・データ基盤の構築、そして窒素循環をマネジメントするプラットフォームの形成——これらは、研究者単体でも、企業単体でも、デザイナー単体でも解けません。だからこそ共創の意味があり、Science × Engineering × Design × Artが交差するところに変化の兆しが生まれるのです。
「行動変容はデザインできるか」——このテーマに向き合い続けた3年間を通じて、関心を寄せる企業や研究組織、スタートアップとの輪は少しずつ広がっています。共創の相手が増えること、テーマが深まること——その連鎖そのものが、社会全体の変容への道のりなのかもしれません。

林 健太郎さん(人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 教授)
皆さんの周りに当たり前に存在する窒素は、生命の根幹であり、私たちの食や暮らしを支える大切な元素です。一方、人類が大量の窒素を使うようになった結果、環境に反応性窒素が過剰に排出され、人の健康と自然の健全性を損ねています。とても重要な問題なのですが、目に見えず、日々の暮らしで実感しにくいのが実情です。だから、正しく知る前に、「気になる」、「感じる」、「考えてみる」間口を作る必要があると考えています。
ロフトワークの方々との一連の挑戦は、科学を社会に届ける活動にとどまらず、研究と社会の様々なアクターとの新たな接点を生む共創の実践でした。窒素問題は、「誰かの問題」から「私たちがともに考える問題」へと少しずつ開いてきています。ロフトワークの方々が自らの言葉で窒素を語るようになったことからも明らかです。次の課題は、この気づきや関心を人々の行動や社会の仕組みの変化につなげていくことです。挑戦はまだまだ続きます。ぜひ皆さんもご一緒に。
Member
メンバーズボイス
“「持続可能な窒素利用」という林先生の研究テーマに出会って3年が経ちました。この期間「地球研とロフトワークでどれだけのことができるだろう...」と模索しながら、あの手この手の共創を重ねてきました。先生の研究活動はもとより、社会情勢の変化も重なり、「窒素問題」がようやく振り向いてもらえる存在になってきた——そんな手応えを感じはじめています。
2026年秋、京都で開催される国際窒素会議は、このプロジェクトにとっても大きな節目。共創の輪をさらに広げ、社会実装に向けた一歩を踏み出せると思うと、ワクワクしています!”
ロフトワーク プロデューサー 山田 富久美
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