#04 「わからない」が面白い
(ドーナツの穴 ー創造的な仕事のつくり方ー)
近況と、私自身の「わからない」こと
実は先日、とある病気が見つかって3週間ほど入院した。幸い大事には至らなかったが、以前と同じく言葉を使いこなせるようになるまでに、少し時間がかかりそうだ。
医師によると、治療の過程でうつ気味になってしまう方も少なくないらしい。それはそうだろう、と思う。私自身も、思い通りに仕事や生活ができずにもどかしく感じる場面もあるし、将来への不安も少なからずあるからだ。
ただ一方で、「この状態から、私はどう変化していくのだろう」と、しごく客観的に、深い興味と共に経過を観察している自分がいる。
はじめて自分の身に降りかかった経験。体験したことのない感覚。先行きは、当然ながら「わからない」。それでも私は「この状況を面白がっている」といったら、語弊があるだろうか。
「わからない」は、当たり前
「わからない」ことを不安に思い、ストレスだと感じる人は多い。仕事においてもそうだ。事態の見通し、将来への道筋、取り組むべき課題。ロフトワークの若いメンバーも、クライアントから明確なオーダーがないと、ちょっと怯んだ顔をすることがある。
でも、すでに課題がクリアになっていて、やるべきことや進め方まで指示できる状態にあるのなら、おそらく、その企業がロフトワークに相談を持ちかけることはないだろう。
これからクリエイティブな仕事がはじまるのだから、前提条件など「わからない」のが当たり前。私たちがチャレンジするのは、お題にそって正解を探す仕事ではない。
クライアントと一緒に、深い思索の旅に出る。仮説よりもっと、ずっと前段階にあたる“着眼”の部分を探るために。
「生活者」の視点に立って紐解く
目の前にある「わからない」テーマに対し、どこに着眼するか。そのとき私たちは、クライアントが想定していたユーザー像にとらわれるのではなく、もっと広く「生活者」の視点に立ち返る。
着眼のフェーズでは、とことん、生活者の目線でものごとを見ていく。
ユーザーは、社会の中で1人で暮らしているわけではない。またいきなり、瞬間的にユーザーになるわけでもない。特定の企業のユーザーとなるその前後には、脈々と続くその人自身の人生がある。また周囲には、共に暮らし、関わり合っている非ユーザーの人たちがいる。
そうした生活者の人たちが感じる痛み、苦しみ、悩みとは。一つひとつ紐解き、まずは知ることから思索がはじまる。
着眼点が見つかることで、はじめて次段階の問いが生まれるのだ。「会社として、一体何ができるだろう?」と。
どこに本質があるのか、わからないことからはじまる。その道のりは、ワクワクする可能性で満ちている。
「わからない」は、やはり、とても面白い。
【連載目次】「ドーナツの穴 ー創造的な仕事のつくり方ー」
- #00 はじめに
- #01 デザインとクリエイティブ
- #02 付箋と民主主義
- #03 デザインは、量より質?
- #04 「わからない」が面白い
- #05 場が働き方をつくる
- #06 折り紙付き採用
- #07 合宿のススメ
- #08 その人にしかできない仕事を
- #09 きっかけは他者にある
- #10 FabCafeのつくり方
- #11 FabCafe Globalの育て方
- #12 飛騨の森でクマは踊るか
- #13 2020年代を生きるということ
- #14 ロフトワークの未来、どうしていこう?
- #15 ダイバーシティとどう向き合う?
- #16 「プロジェクトマネジメント」の技術をどう伝える?
- #17 「人とのつながり」をどうつくる?
- #18 おわりに
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